こんにちは。metheglinです。
この間金曜ロードショーで「となりのトトロ」を見て以来気分の落ち込み方がすごいので考えてみた。
となりのトトロという作品は超現実・シュールレアリスムの代表作だと思っている。シュールレアリスムの定義はwikipediaによると、「過剰なまでに現実」ということ。
ダリやマグリットが代表的なシュルレアリストだと言われているけど、すごい想像力・空想力だとは思っても「すごい現実だ」とは思わない。
夢でもあんなすごいもの見ない。ぼくの考える超現実はああいった類のものではない。
ダリやマグリットを見てて、こいつら何考えてるかさっぱり分からん、うひょーと荘厳な心境にはなる。
けどぼくの憧れる超現実は、ダリやマグリットと違って視聴者にがっちりとしっぽをつかませなければいけない。
トトロを見ていて、ぼくは長嶋有さんの「猛スピードで母は」と「サイドカーに犬」を思い出していた。これらの作品を見ているときのぼくの脳の動きは非常によく似ていた。常に何かを思い出さずにはいられないわけで、けれどその記憶が具体的になんなのかわからなくって歯がゆい思いをするわけだ。
トトロにも長嶋有の作品にもこどもが主人公として出てくるけれども、彼らの行動や彼らが見ている世界がぼくの子ども時代の記憶とリンクしているような気がするんだ。
たとえば、「猛スピードで母は」の中に、幼いころの主人公が公営住宅のくじを引き当てて、母親からファミレスに連れて行かれてわけもわからずチョコレートパフェを食べさせられたというシーンがある。
僕はなつかしくなって震えた。けどぼくはこういう経験をした記憶は一切ない。なのになぜか僕はむかしの記憶をたどるようにこのシーンを知覚していた。
お母さんが風邪をひいてもどれなくなったという連絡を受けて、メイはさつきとけんかして泣いた。でもそのあと、さつきが泣いてるのを見てメイは泣かなかった。そのとおりだと思う。こういう局面でこどもは泣かない。
そしてメイはとうもころしを抱えて病院へと走る。なんだかよくわからん使命感に駆られてこどもってこういう破天荒な行動をとる。そのときのメイの顔を見てほしいのだけど、こういうときの子どもは本当にそういう顔をする。
こんなこと言ってるけど、やっぱり僕はメイやさつきと同じ境遇に出くわしたことはないし、そういう子どもを近くに見ていたわけじゃない。なのになぜかなつかしくなってしようがないんだな。
なんで同じ経験をしているわけでもないのになつかしいと思うんだろうと。この不思議感覚が超現実の正体だよ。知らない経験の記憶を、あたかも自分が経験したかのようになつかしいと感じること。
現実と明確に異なる出来事であるにも関わらず、現実以上に記憶をゆさぶるこの現象。それが超現実。
前世の記憶を思い出しているのかな、はたまたアニマにアクセスしているのかもしれないな、とそんな気分にさせる。だけど僕はこの感覚の正体は脳の構造の問題だと思ってる。
各人の脳はもちろん独立して動いているけど、同じ社会で、似たような経験をして生きてきて、脳に類似した構造ができるのだと思う。ぼくたちはその構造を通じて感覚を共有できる。
ぼくが感動するのは、絶妙なあんばいで、互いにかけ離れた経験を同じ記憶(脳の構造)に帰結させるシーン。
そういうシーンをいちいち描いてくるのがとなりのトトロであり、長嶋作品であった。
つまりぼくの考える超現実とはこういうもので、この手の作品をぼくはこの世で一番高く評価しているんだ。
あと、スラムダンクおもしろいね。