こんにちは。ひさしぶりですmetheglinです。
ぼくは小さいころからいわゆる少年漫画が大好きでした。中でも好きな作品に少年ジャンプのHUNTER×HUNTERという漫画があるのですが、いつか絶対これの感想文を書こうと思っていました。
今回ついにその構想を形にすべく、ぼくがこの作品を読んで特に強く学んだ7つの教訓を列挙することにします!
ただし、この感想文にはネタバレに関する情報が載っています!ご注意ください!
また、画像は集英社HUNTER×HUNTERコミックから引用しており、説明の都合でコマを必要な部分だけ切り貼りしています。
1.こたえのない問いへの心構え
HUNTER×HUNTERの主人公・ゴン(ツンツン頭)がハンター試験という超難関の資格を取得するために、その試験内容のひとつとして2択問題を出題された場面です。
その内容は実にいじわるな、『息子と娘が誘拐された。1人しか取り戻せない場合どちらを取り戻す?』というものでした。
どちらを選んでも絶対正しいはずがないこの問題へのこたえは『沈黙』でした。
この例からわかるように、この世に存在する問題は、科学のように客観的に答えを出せるものだけではありません。
ところが、ここでゴンが示した反応が実に興味深いのです。
彼はハンター試験の中の単なる思考実験にすぎない問題について真剣にリアリティをもって考え始めたのです。
客観的にこたえを出せない多くの問題は、大半が難しくどちらを選んでも苦渋の決断というパターンが多く存在します。しかし、私たちはこれらの問題に対して複数の角度から物事を検討し、”主観的な”こたえを用意できるようになるべきです。
私たちは大なり小なりこういったこたえの出ない問題に日々晒されながら生きています。
こういった思考を放棄することなく、思索を重ねるたびにあなたの迷いは晴れ、言葉には重みが増していくことでしょう。
最後のコマでおばあさんが述べているように、あらゆる残酷な空想に耐えておくのが大切なんだとぼくは思います。
2.多数決の脆弱性
次はハンター試験の第3試験、5人1チームとなり多数決で意志決定を行い、ゴールを目指す試練の場面です。
”多数決”という一見文句の施しようのない意志決定システムに対して、ぼくにとってはじめてその不完全さの可能性を示してくれたのがハンターハンターでした。
多数決というのは本作が示す通り、少数派の意見を抹殺することにほかなりません。
もっと言えば、AとBという選択肢があったときに、大多数の人間が『どちらかというとA』という見解を示したのに対し、少数の人間が『絶対にBがいい』と言ったとします。多数決をとった場合、その選択に対する意志の重みは明らかにBの方が大きくてもAが通ってしまうのです。なおかつ、マスメディアが力を持って大きく世論を動かしてしまう時代です。
これによってたとえば絶対に譲れない生き方をかえさせられてしまったらどうでしょうか。少数派が抗うとすればテロなどの方法を視野に入れるかもしれません。
多数決の結果を手放しで肯定し、少数派の意見を聞くことを放棄してしまえば実に恐ろしいことになる危険性を秘めているのです。
3.「ORの抑圧」からの解放
3つめは前述の同じくハンター試験で、ゴンら一行が出くわした最終決断の場面です。
その内容がこれまたいじわるで、『5人いっしょに行けるが長く困難な道、3人しか行けないが短く簡単な道を選べ』というものでした。
ちなみに、このときゴンたちには残り時間がごくわずかで、5人の道からのクリアはほぼ不可能でした。ですから、「仲間同士殺し合いをして簡単な道を行く3人を選べ」という命題にかわりなかったのです。
しかし、ゴンは絶対5人でいっしょにクリアすると決意し、それを実現します。その発想は驚くべきもので、5人全員の道を選び、制限時間内に通路の壁を壊して3人で行ける簡単な道の方に出るというものでした。
『「ORの抑圧」からの解放』というタイトルは、名著「ビジョナリーカンパニー」からの引用です。
この意味は、2つの相反する事象を、相反するものだと決め付けあきらめるのではなく、どうすれば2つとも手に入れられるか考えようということです。つまり、AまたはBのどちらかしか選べない「ORの抑圧」に悩むのではなくて、AもBも手に入る方法を探そうという「ANDの才能」を活かせということ。
ゴン一行の例だと、5人とも進めてなおかつ短く簡単な道で行ける方法を探したのです。二兎を追って二兎とも得る方法です。
実はORの抑圧にはこのぼくがずうっと支配されてきたもので、この思考の罠に陥っている人はけっこう多いのではないかと思っています。というわけで7つのうち一番声高に主張したいのがこういう考え方です。
さらに言えば、2つの理想的な物事が相反しないと確信できたとき、人間って素晴らしい力を発揮するものだよなと思います。
4.善悪に頓着しない評価
これは、ゴンとその仲間キルアがお金稼ぎを始めたときに、掘り出し物のお宝を集めて大儲けしようとしていたときのエピソードです。
価値の高いお宝を安く買い叩こうとする悪徳業者が、お宝に細工をして価値を下げる行為のことを”殺し技”というのですが、ゴンとキルアにたのまれていたプロの目利き師ゼパイルにゴンが殺し技についてもっと詳しく知りたいとたのむシーンです。
ぼくが個人的にThe Most Impressive Sceneに選びたいのがこれです。
ぼくははじめてこれを読んだとき、善悪に頓着せずすごいものをすごいと判断できるゴンの姿をかっこいいと思い、衝撃を受けたことを覚えています。
殺し技というのは人をだます手口ですので、ルールで禁止されている場合も多く、そうでなくとも一般的に悪と見なされている場合が多いです。けれどそういうだます手口がある一方で、いかさま手口を見破る手法も進化し、さらにその上をいくだましの手口が現れ・・・という具合に人間の営みは洗練されていくのです。そのプロセスだけに着目すれば紛れもなくそこにはハイレベルですごい闘いが存在します。
同作にベンズナイフというナイフが出てきます。ベンズナイフとは、世紀の凶悪連続殺人犯ベンニードロンなる人物が人を一人殺すたびに記念として作ったナイフで、かなり高い価値で取引されています。
たとえばぼくは、作品の制作者が人殺しであったとかそうでないとか、そういうことに全くとらわれず物事を見れるようになりたいと思います。
カンニング事件も然り、カンニングという行為自体は当然罰せられるものであっても、試験管の目を盗んで大舞台で堂々カンニングを成功させたという事実は、その周到さと大胆さに注目すれば間違いなくすごいことです。
そういう人間たちのプロセスあふれる攻防に心を閉ざしてしまうのは実はもったいないことではないでしょうか。
5.挑戦者スピリット
5つめはキルアが師匠に弱点を指摘される名シーンです。ぼくが言いたいことは、キルアの師匠が全て述べています。
見切りの早さというのは弱点にもなる。常に敵のMAXをはかろうとし、最悪の場合を想定する癖がつくからです。うまくいかなそうだったら、決して挑戦しない。
たとえばぼくは今でも完全にこの逃げ腰タイプです。何かをはじめるときは、全ての見通しが立って、全体を具体的にイメージできないと行動に移せません。
多少はこういう慎重さも必要だと思いますが、よくよく考えたら、このタイプの人って言うのは結局なにも本気でやってないんですよ。できると分かりきっていることをやることは何の挑戦でもない。
自分を売り込むのがうまい人はあれができるこれができると自信満々に話します。そして、「じゃあこれやってよ」とたのまれたら、できると言った手前、死ぬ気で勉強するんです。できるかできないかではなく、やらざるをえない状況に自分を追い込む。そういう綱渡り的な挑戦をできる人間って本物だと思います。
6.他業者への理解
これまた名シーン。キメラアントという最強の生物の王様が、人間の少女と”軍儀”というボードゲームで勝負するものの、どうしても勝つことができず『強さ』とは何を指すのかと苦悩する場面です。これまで、単純に絶対悪としてしか描かれなかった少年漫画の悪役において、自分の存在意義に悩む側面を描いたという意味で、ぼくのとても好きなシーンです。
人間なにかと自分の得意な能力を肯定し、他人の得意な能力を否定したがります。
物を作ること、人を動かすこと、お金を生み出すことなど人それぞれ特技は違いますが、それらに絶対的な優劣をつけることに意味はありません。他人の能力を認めなければ認めないほど、あなたは自身の可能性をどんどん狭めていってしまうことに気付かなければなりません。
7.違いを生み出すのは精神的部分
ぼくが選んだ最後のシーンは、コミックを紛失したので挿絵なしですが、ネット上にあった文章のコピーを貼らせてもらいます。
ハンターハンターの世界で最強の人間と言われているネテロ会長という人物が出てくるのですが、彼がおそるべき強さを手に入れるまでのエピソードです。
感謝の正拳突き
ネテロ 46歳 冬
己の肉体と武術に限界を感じ悩みに悩み抜いた結果
彼がたどり着いた結果(さき)は
感謝であった
数多の他大多数のハンターらとネテロを分けるポイントは、感謝だったと語り手は言っています。
感謝の心があったから強くなったというのは一見非合理的で大げさに聞こえるかもしれませんが、ぼくは非常にリアリティを感じました。
結局は宗教なのです。
ぼくは、『宗教とは触媒である』と考えています。
今の自分よりさらなる高みへ自分を導いてくれる存在、その化学反応の手助けをするもの全てを宗教とよびます。
単純に正拳突きの修行をするにしても、だらだらやってしまう人もいれば、長続きしない人もいます。その差はどこにあるのかというと身体能力ではなく脳です。本当に自分に合った宗教を見つけることができた人間は、恐るべき密度で毎日を生きることができると私は確信しています。
ですから結局は脳をコントロールできる精神的な存在がスーパーになるために必要不可欠なのです。
いかがでしたか。あれこれと自論を詰め込みましたが、もう一度ハンターハンター読みなおしてみてはいかがでしょう。