死後の世界観改訂のお知らせ

命は脳の中にのみ宿る。故に人が死ねば、待っているのは無。

というのが今までのぼくの考えだったんだけど、最近そうじゃない気がしている。6,7年ぶりの死後の世界観改訂である。

 

死とはプロセスである

まずWikipediaの「死」のページでも引用されている養老孟司のこの言葉をここでも引用したい。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB

生死の境目というのがどこかにきちんとあると思われているかもしれません。そして医者ならばそれがわかるはずだと思われているかも知れません。しかし、この定義は非常に難しいのです。というのも、「生きている」という状態の定義が出来ないと、この境目も定義できません。嘘のように思われるかも知れませんが、その定義は実はきちんと出来ていない。

呼吸が止まったら死、心臓が止まったら死、瞳孔が開いたら死、というわけではないってことですね。
これってつまり、死は点ではなくプロセスということ。自然界にはものを腐敗させたり、風化させる力が絶えずはたらいているけど、生物はそれに抗ってエントロピーを小さく保つ動的平衡システムが備わっている。腐敗の力が、動的平衡の力に勝つと、生物はその形や仕組みを維持できなくなるわけだけど、一般的にわたしたちが「死」とよんでいるものは、「今の技術では蘇生しきれないほど腐敗の力が大きくなりすぎた状態に突入した現象」のことをそうよんでいるのに過ぎないんだと思う。

でもよく考えると、死が点ではなく時間的なプロセスをもつ現象のことだとすれば、誰でも死んでいる状態にあると言えなくもない。誰もが最期には必ず死ぬのだから、長期的に見れば、「死という根本的な病から蘇生しきれないほど腐敗の力が大きくなりすぎた状態」に突入している。養老孟司が言っている、”「生きている」という状態の定義が出来ない”とはそういう理由だと思う。

まあでも、生きている人たちが死んでいるというのは今回言いたいことではなくて、重要なのは「死がプロセスであること」。
ぼくが最近思っていることは、プロセスであるところの死に死後の世界が存在しているのではないかということ。

 

知覚は、脳の物理的な状態変化の副作用

生きてる人と死んでる人の明確な線引はできないけど、死んでいる人の共通点ならたくさんある。中でもぼくが注目したいのは、「意識がない」ということ。生きてても、睡眠中の人は意識がないけど、睡眠って死のお試し体験みたいなものであるような気がする。

睡眠中は、脳のデフラグ作業のようなものが発生していて、そのときに様々な情報が整理されるらしい。ただのシステムメンテナンスであるこういった作業にも、高度な機能を持つ脳は逐一意味付けをおこなってしまう。結果としてランダムに整理された情報はストーリーとなって「夢」になる。みたいなことがこの本に書いてあった気がする。

 

 

意識があろうがなかろうが、意志があろうがなかろうが、脳は勝手にものごとを想像してしまう。
脳の物理的な状態変化の副作用として、知覚が存在する。

 

生物によって体感時間がかわる

最後に紹介したいのは、ゾウは長生きでネズミは短命であるけれども、一生のうちに刻まれる心拍数合計や単位体積あたりのエネルギー消費量などはほぼ一致するという衝撃の事実・・・。(今回のテーマにはあんま関係ないけど以下の本はめちゃくちゃおもしろいです)

この事実が示唆しているのは、たとえば虫なんかは人間から見るとあっという間に死んでしまうけど、その粒度の時間を生きているということ。
虫にとってみれば、1時間は気が遠くなるほど長いと感じている可能性があって、それなりの濃度の人生を生きることができると言える。

 

著者 : 本川達雄
中央公論社
発売日 : 1992-08

 

1時間は短いと感じるとか、30年は長いと感じるとか、一体何が決定づけているんだろう。
それを知りたくていろいろ調べてみたけど、たぶんこれは明確には解明されてない。

でも、寿命と心拍数に一定の相関がある以上、心拍数と時間の長さ感覚(体感時間)も関係している気がする。
生物によって体感時間がかわるということはあり得ると思うし、さらに言えば、人間であっても、幼児期と大人では体感時間はかわってくることはある。
もっと言えば、夢を見ているとき、体感時間は大きく変化すると思う。夢を何時間も見ていたような気がしても、実際にREM活動が起きていたのは数十秒だったりする。

 

死後の世界が存在する可能性

まとめると、ぼくはこういうことが言いたい。

人間が死に向かうとき、心肺停止など生命活動の維持に必要なあらゆるシステムが停止する
酸素不足による脳の機能低下や脳細胞破壊のさなかであっても、脳の物理的状態の変化がおこっていることにかわりはないので、その副作用として脳はなにかを知覚している
心臓が停止し、エントロピーが増大していくプロセスの中、体感時間がどんどん引き伸ばされる
心肺停止状態に陥ってから葬儀で焼却されるまでの間、人は永遠の夢を見ている状態になる
永遠に見続ける夢は、死後の世界である

ぼくにとっての大きな気付きは、体感時間を左右するファクターがどこかにあるということだった。
人工知能は将来必ず開発されると思っていて、それはおそらくバイオコンピュータよりも先に、既存のコンピュータか、その延長線上のコンピュータの上で動くソフトウェアとしての知能として登場すると思っている。
でも、そうだとするとすごく興味がわくのは、肉体を持たない人工知能は時間をどのように認識するのだろうということ。
今のアーキテクチャを前提に自然に考えれば、クロック周波数がそのヒントになるような気がするけど、3GHzとかだったら到底人間とコミュニケーションが成立しないほど体感時間の隔たりがありそうだ。
処理速度を落とさずに、体感時間を調整する方法があるのかというところは興味深い。

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今考えた名言

おつかれさまです。metheglinです。
ここ1年くらい、降臨してくる名言を少しずつためてきていたのでここでフラッシュします。今さらですがお察しの通り、”今考えた”はただの枕詞です。

metheglinの名言が無料!

ありがとうございました。

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こどもにきかせたいかえうた

明けましておめでとうございます。
こどもにきかせたいかえうたというテーマで歌を歌っています。

また会う日まで〜

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今考えた発明「ドアノブ」

door_knob

手がぬれてる人用ドアノブ

今年ぼくが考えた発明の中で、最も合理的かつ需要があると思われる発明品を紹介させていただきます。
手がぬれてる人専用にドアノブを冗長化するという提案になります。
特許取得の準備よろしくお願いいたします。
本年は以上です。

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クリスマスソング “Jingle Wrinkle”

Jingle Wrinkle

Jingle Wrinkle

Hi! This is Metheglin!
I’m so excited this time to announce the release of my new Christmas Song “Jingle Wrinkle”!
This project is a first step of one of my big dreams. Do you want to know that?
It’s to earn the royalty!!

To tell the truth, this song is not a new release and I already shared it for you a half year ago. I just couldn’t wait for this season…
Anyway, this work is very classy. Be sure to check it!

こんにちは。metheglinです。

かねてからの目標だったクリスマスソングを今年ついにリリースしています。
次のロードマップとしては、

  • 渋谷Loftで流す
  • iTunesで売り出す
  • カラオケ機器に導入
  • 紅白に出場

あたりを考えています。
印税収入の実現のためには努力を惜しみません!
みなさんの応援をよろしくお願いします。

https://soundcloud.com/metheglin/jingle-wrinkle
※音がなります

最後に、上のリンクからSoundCloudのページにいけますが、歌詞も見ることができるのでぜひチェックしてください。けっこうがんばって作ったのですが、意味難しいと思うので、翻訳を以下にのせます。

※以下日本語訳

1頭立てのそりに乗って、雪しぶきを上げて疾走する
そのときあなたはすべての煩悩から解放されるのです
そしてあなたの手、あなたの手を見せて
手相を見せて
感情線と頭脳線にはさまれたその十字線を、わたしに見せるのです!

※繰り返し
Hey!
ジングルベル ジングルベル Hey!
ジングルベル ジングルベル Hoi!
トナカイにひかれるそりってなんでこんなに楽しいんだ!
手をひっぱたいて
シャカラカ 手を合わせ
シャカラ 手を叩き
ラッキーシャカサインをつくること
そうすればあなたは救われるのです

ヨガ ガナ モガモナ
モガ モガモ モガナ
君って、カボチャのフォカッチャに似てるって言われない?

ある夜君はぼくの手をひいて
家系図を見せてくれたよね
それは実に見事に輝く12親等内血族の樹だった

しわ しわ 君の顔のしわ
しわ しわ 君の手のしわ
しわの数だけ願いは叶ってきた?

しわがない人生なんてない
しわがなければ生命保険なんていらない
それかもしくは、しわがないことが、君の人生の闘いの軌跡なの?

※繰り返し

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炊飯器メーカーに提案したいゆるキャラ

ごはん炊けるノミコト

ごはん炊けるノミコト

前回、というか昨日ですね。
ゆるキャラの定義とブームの終焉について言及したにもかかわらず、すべてひっくり返すようなことをして恐縮なおもいですが、炊飯器メーカーに提案したいゆるキャラ「ごはん炊けるノミコトくん」を考えました。
本日は以上です。

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ゆるキャラの次にくるもの

を考えていたんです。
というのも、現在のゆるキャラの興隆もそう長くはない、そろそろ一手先を読んでマーケティング戦略を練りたいと思っているんです。

実はゆるキャラにはわりと明確な定義があることを知らないかたも多いのではないかと思います。
ゆるキャラという概念を発明したのはみうらじゅんさんですが、ゆるキャラ三か条として以下のように述べられています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%86%E3%82%8B%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9

  1. 郷土愛に満ち溢れた強いメッセージ性があること。
  2. 立ち居振る舞いが不安定かつユニークであること。
  3. 愛すべき、ゆるさ、を持ち合わせていること。

また、三か条として定義にまではなっていませんが、原則着ぐるみ化されていること、も条件としてあるそうです。
ぼくもずっとゆるキャラのことを誤解していましたが、ゆるキャラというジャンルは実はかなり狭い範囲で定義されている言葉です。
ディズニー、サンリオ、ジブリ、赤塚不二夫らが生み出したガチキャラはもちろんのこと、へたうま、キモカワ、Golden eggsなどのニューウェーブとも根本的に異なるジャンルなのです。

ゆるキャラとは本来、地方自治体が地域をPRするためにアバターをたてたものが始まりで、起源としては地域のミスコンの流れの延長線上にあると思います。
しかし、みうらじゅんさんのお話を聞いていても思いますが、そのキャラクターのコンセプトや運営方法が滑稽で、つっこみどころ満載な点が多くの自治体に共通して見られ、この潮流が注目されたものがゆるキャラの始まりです。

つまり、ゆるキャラという概念の本来の興りは”人々に癒しを与える存在”ではなく、”人々からはらはらどきどきされながらも見守られる存在”だったというのがぼくの意見です。
ゆるキャラのゆるいの意味はそこにあり、へたうまジャンルとも根本的に異なることがわかると思います。

そう考えると、これはみうらじゅんさん本人もおっしゃられていますが、くまもんはその領域を完全に超越しています。完全に人々に癒しを与える存在として洗練されています。
ぼくも始めてくまもんを見たときは、(やるな・・・)とそのデザインセンスに感心しました。
こないだ、熊本県のくまもん運営チームのドキュメンタリーも拝見しましたが、彼らくまもんででかいビジネスや社会貢献をしようと本気でした。
現在の人気キャラクターやゆるキャラグランプリをのぞいて見ても、上位にいるのは、人々を楽しませている、もはやゆるくないキャラばかりです。

やっぱり、本来ゆるキャラというのは大衆の注目を集める存在でないのだと思います。
今ゆるキャラとして成功しているものは、洗練されたキャラクターで、洗練されたキャラクターはむかしから人々の注目を集めるし、PRとの親和性が高い。
今ゆるキャラ本来の定義に沿って自治体PRを考えても、これだけ多様なキャラクターがひしめいている中確実に成功しないだろうし、ブームが去れば見向きもされないと思います。かといって、ガチのキャラでやろうと思えば、ガチの闘いが待っている。
ゆるキャラブームは今こういう状況なんだと思います。

だけど、個人的にはそれでいいんだと思います。
発端は、公務員が考える拙い地域マーケティング戦略で、その拙さが逆に話題となり、火が付き、お祭り状態になる。
お祭り状態になったあとはやりかたの巧い一握りが生き残るものの、キャラクターを用いた地域PR展開というのが手法の一つとして教科書にのる。
こうやって一歩一歩地方自治体も進歩していく。

ただし、やっぱりこれを持続可能にしていくには、ゆるキャラの次の手を考えなければいけません。
ガチキャラを運用していくのは難しく(キャラクターのライバルは自治体に限らずそこら中にいます)、本来のゆるキャラは人々の注目をもはや集めない。
ゆるキャラブームが終焉を迎えるのは時間の問題だと思います。
ということを考えていて、次にくるものを考えていました。
グロキャラ、鬱キャラ、哲学キャラかなあとか、五里霧中状態でしたが、こないだふとネット上で出会ったコンテンツを見て、これだと確信できたものがあったんです。

五泉菜摘さんの作品リスト

次にくるのは”ゆるうた”です。
歌ってみんな好きだし、浸透力もすごいし、PRとの親和性も高い。
芯が良ければ、プロ並みの歌唱力とか編曲力とか演奏力とかなくても人々の心をつかめる。
公務員ならではのセンスで、次は歌で世の中を席巻してほしいです。

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今考えた安西先生の名言

安西先生

あきらめたらそこで試合終了ですよ。

とあの日私は言いました。
ですが、今の私は、あきらめることは決して悪いことではないと思っているのです。
あきらめたら、たしかに、そこで試合終了ですが、
あきらめることは、新たなゲームのホイッスルでもあるからです。

一番いけないのは、自分がもうとっくにあきらめていることに、自分で気付いていないことです。
腐ってしまった目標をいつまでも掲げていると、次第にその目標に支配され、光は失われていき、周囲の人たちはあなたをはれもののように扱います。

あきらめることが人の行動をかえ、可能性を切り拓くことがあることを私は教え子たちから学びました。
あの日、彼らはある意味で、あきらめたのです。
正面から闘うことをあきらめた。
そのことが、特に、流川くんと赤木くんの行動をかえました。
逆転劇のキーを握る彼らが、最期の最期でプレースタイルをかえたことが、結果的に勝利へとつながりました。
そして、プレースタイルをかえなければいけないと思わせるほどに、彼らを鼓舞したのは、”あきらめたら試合終了”というわたしのメッセージではなく、桜木くんの起こした奇行でした。

夢を持っている若いこどもたちに伝えたいのは、
自分が本当はあきらめていないか常に自問自答することです。
もしちょっとでも、無意識に目標をあきらめているかもしれないと思ったら、その目標をあらためるか、あなたの生活の中の他の何かをあきらめる必要があるのです。

このまえ連続テレビ小説のあまちゃん見てたら、あまちゃんがアイドルやめたいって言ってるのをお母さんがあきらめるなって必死に止めてて、感動して、やっぱあきらめたらだめだって思いました。
本当にあまちゃん見て毎回感動してます。
だけど、あえてこの投稿で突き進みます。
せっかく降りてくる名言をひっこめておくわけにはいかないです。
名言を言うためなら、主張をかえます。
この矛盾をご理解ください。

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